映画評:「蓬莱の玉の枝を求めることと、マドレーヌを求めることは等価か?」 #かぐや姫 見てみましたー (ネタバレ)

 まあネタバレも何もないですが、内容に触れざるを得ないので、お気になさる方はその点ご留意ください。という以前に、竹取物語、かぐや姫が原作だからなぁ…。

 

 作家であり、オタキングである岡田斗司夫さんは、「すべっている部分」があるとご指摘になっておりましたが、まあかなり見る側でいろいろと補わなくちゃいけない、そういった意味でこれまたリテラシー高い作品ではありますよね…いくらアート作品の多い作家とはいえ、これはどれだけの方が面白いと思われてるのか、難しいところかもしれないです。「これまた」と書いたのは、「風立ちぬ」があるからですが…。

 

 

 これわたし思ったんですが、かぐや姫、もしくは竹取物語を、近代小説、そう「近代の自我」として思い悩む、そういう作品として描くところが中心軸なんだろうなと。世の中の「第二の自然」とされるルール、その象徴のミカドの奥さんになることが至高の生き方と考える、地井武夫の翁、あ、いや竹取の翁を象徴とする世人に対し、虫や獣、鳥のように生きたいと願うかぐや姫。かぐや姫の周りで囚われる生き物たちはことごとく自由に解き放たれるのでした。

 

 元々私、高畑作品好きなんですね。ラストの音楽と幼少期の子どもたちの生霊の出演タイミングばっちりの「思い出ぽろぽろ」。確かフルCGで作業し始めた年につくった「おじゃマンガ山田君」、「映画館でぜひ見てほしいキレイな色遣いのシーンが5分ぐらいあるのよ!」熱く語るわたしにまわりの映画好きはぽかーんでしたね。そしてかぐや姫の予告編、これまた引き込まれた。で、本編ですが、90年代だったら、ものすごい作品だったろうなと感じました。作家でもないし映画も素人で作り手側にまわったことないですが、私にとっては、「すべってる」作品ではなく、「時代感覚が合わない」作品でした。なぜって?、だって、「遅れてきた消費社会」、つまりは「遅れてきたポストモダン」である現代、この時代に、「近代的自我」の表現方法を持ってきた監督の意図を、どう受け止めていいかわかんないからです…。

 

 

 それにしても、ジブリは今後どうなるのか…宮さんは、引退ということですが、私としては彼が青年期から壮年期までの自伝的作品を最後にしてほしいと思っていましたが、かなわぬ夢だし、高畑さんも、おそらくあとは何本もとれないんでしょうし…うーん、時として「左派」的表現者と時として超保守的言論界を支える出版社との何とも言えない複合文化産業資本だったんですが、今後は何を見せてくれるのか…。

 

色々と勉強にはなりましたが、「龍の子太郎(’79)」見たくなったなぁ…。

 

 

さあ次行ってみよう!。

 

(あ、でも月からの使者の形象と音楽最高だったなー!w)

 

(追記)

いい作品なんですがどう受け止めていいか難しいなーっていう作品でした。