映画評:ハンナ・アーレント見てみた(思いのほかネタバレですw)

おそらく、主演女優と監督が、映画『ローザ・ルクセンブルグ』でのコンビと知らなければムリして見なかったでしょうに。以前「もうアレントについては小食気味なので…」等といっておりましたが、結局見てしまいました。

 

 

 会場は大阪のさる劇場でして、11月23日からの封切り。しかし、各回ともに混雑が予想され、その予見通りに実際に私の時も混雑いたしました。失礼ながら岩波ホール開始の映画でそこまで人気になる秘密とは…と思いましたが、お客さん層は、どうも団塊世代より少しお若い方々が多く、私と同じ団塊ジュニア世代らしき人がちらほら、20代は皆無という状況。少し寂しいような、少し安心したような。

 

 劇場では、残念なことに防音が不備なのか、冒頭アイヒマンの拉致というべきか逮捕というべきか、静寂のシーンが台無しでしたが、あとは主演のバルバラ・スコヴァさんの演技に引き込まれる形であっという間の114分でした。

 ひとまずは大雑把な感想ですが、この作品もそうですが、ドイツ映画見やすくなったなぁと。少しさびしい気もしますが、ブリキの太鼓あたり絡みだしたドイツ映画は、どぎついシーンや物語の順番を演出なのかなんなのか梯子を外されまくりで、いい意味でも悪い意味でも混乱しながらその時間を過ごしつつ、何か監督のメセージや問題提起的なものを受け取るといったような作品に触れることが多かったせいか、まるでシュプレヒコールのようなイメージを勝手にもっていたんですが、『善人のためのソナタ』以降、本当に見やすいというか、シンプルなというか、そういった作品が増えましたねぇ(例外的に私の好きなミヒャエル・ハネケはまだ挑発を続けてるように見えますが…)。

 

 

 さて、映画の話に戻りましょう。アレント自身は、もういろいろな方がご存知の通り、20世紀に活躍した「ドイツ系ユダヤ人女性」の政治思想家・哲学者・元シオニズム活動家ということになるでしょうか(尤も彼女がそういうような区分をお気に召すかはわかりませんが)。多作ですし、比較的主だった著作は邦訳版もたくさんありますので、ご関心のある方は密林様にでも…。

 

 舞台は1960年、すでにアレント(アーレントとするか、アレントとするかで学派があるようですが私は字数の経済のためにアレントで統一させていただきます)は、『全体主義の起源』という著作で、著名な政治思想家にして亡命先のニューヨークで大学教員だったようですが、彼女のもとに大きなニュースが舞い込んできます。かつてドイツ第三帝国時代に元親衛隊中佐で、悪名高いユダヤ人の強制収容所の移送責任者でもあったアドルフ・アイヒマンの身柄がモサド(イスラエルの諜報機関)により拘束・確保されたと(確かこの時代親衛隊の階級は正規軍の階級より実質二段階上待遇だったようですがそうすると准将つまり将軍クラスとなります)。

 

 

 これまたこのアイヒマン、実は様々なルートによって戦後ブエノスアイレスで偽名を使用し潜伏していたわけですが、それを、当時の西ドイツがイスラエル政府にリークし、モサドの特別編成の工作員により内偵と身柄確保の作戦が実行されて逮捕というべきか身柄を拘束されたわけです。そして非公式にアルゼンチン国内で拘束されたのちアルゼンチン政府の行事に参加するイスラエル要人を乗せた政府専用機によってイスラエルに移送されたのでした。このあたりは映画では省かれておりますが、まあはっきり言えば、かなり国家主権を害する行為の連続によって、政治的に黙認される形でイスラエル政府がその身柄を拘束したといってもいいのかもしれないわけです。エスピオナージものの映画を思わせる、いやそれ以上の拘束劇が現実に起こったのでした。

 

 映画のお話に戻りますと、このアイヒマンをイスラエルで裁判にかけると。その裁判の傍聴人として、アレントが名乗り出るところからお話が始まるわけです。そしてその顛末を、雑誌ザ・ニューヨーカー誌に五回連載、後に出版される彼女の著作『イェルサレムのアイヒマン』として出版に至る前の様々なお話まで。これは映画でもふれられていますが、裁判の過程で、実はユダヤ人組織の幹部が、ナチスの収容所移送に協力していたということが明らかにされました。この裁判は確か公開放送もされていたようでしたが、その記述をアレントが記事にしたところから、思わぬ嫌がらせを彼女がこうむることになります。雑誌社も最初のうちは、ありきたりな、「大量殺戮の幹部=怪物」というステレオタイプの煽り記事を求めていたものの、何べんも説得しても記事内容を変更しない彼女の姿勢から、編集長らしき人物はアレントに理解を示しだします。結局、この記事での事実報道と、ステレオタイプ化するのではなく、「小役人的意識を持つに過ぎない人物が600万もの人種大量殺戮に従事する、ナチス時代の悪の構造的理解」に論陣を張るアレントの姿勢は、「アイヒマンの擁護者」として歪んで「誤解」され、彼女自身も大学を去ることになるのでした。

 

 職をかけてまで、あるいは嫌がらせを受けてまで、彼女が「悪の陳腐さ(凡庸さ)」として論理化する、現代における悪の構造の理解にこだわったのはなぜか…作品で彼女自身が語る言葉、それは、裁判で明らかになったユダヤ人内の迫害協力者のような状況によって、ヨーロッパ社会全体に、倫理というものが蹂躙され、思考というものが停止される状況、そのこと自体を課題として彼女が指摘したかったからということになるでしょうか…トロッタ監督という人は、本当にこういったある種の悲劇性を持った「尊敬すべき人」にスポットを当てる名人だな、そう思った次第です。

 

 

 ラストシーンは、何度も亡命して、国籍取得にも相当苦労したアレントが、職を辞して思索(と葛藤をする)ところで終わり、彼女が亡命した時に見た景色なのか、ニューヨークの夜景が海もしくは川から遠方から長まわしされます。結局パーリア、あるいはディアスポラという状況の中でしか思考はなしえないのか…作中で、アレントの記した記事について米国内ですら批判が高まった頃、イスラエルのかつてのシオニスト運動の同士ともいえる人物からも絶縁を言い渡されます。

 

 「同士とは命のやり取りをした人物同士でのみ使える言葉なのです…」かつてとある会でご一緒した南アフリカ駐日領事がおっしゃってました。彼もまた反アパルトヘイト活動の闘志で友人や親せきなど、様々な親しい人を失った経験があるそうです。そういった同士からも絶縁を突き付けられてアレントは、「私はどの民族も愛したことはない。愛するのは…」というシーンがあります。シオニストの活動家としては建国間もないスラエル国家を擁護しまたその国家感に即した民族感も擁護しなければならない、そういったことはわかりつつも、結局彼女の想いは受け入れられずにアレントは同士の許を去っていくしかないのでした…。

 

 

 あ、なんだかやはり見たら見たで、語ってしまいましたね。もうアレントさんの本を追っ掛けることもないと思ったりもしましたが、見てよかったとは思っております。ただ、彼女の死から40年近く、アイヒマン裁判で彼が処刑されてから50年、私たちが「悪の陳腐さ(凡通さ)」について何を学ぶか、でしょうか…。(結構ネタバレしてるw)

 

 

さて、では時間です。