映画評:映画『そして父になる』 ( @soshitechichi )を、そして見る(多少ネタバレ)。

 そう言えば、『凶悪』以外にも、最近見た映画評を忘れないうちに。

 

 

 カンヌの報道でも一時期話題になていた是枝監督の『そして父になる』も最近見ておりました。

 

 はきり言って感動しました。後半30分は、泣くかと思いました。めったに映画で泣くということはないんですが、私は現在の家族で「父」の役割を担うこともないのにどうしてだろう。

 そう見終わってからしばらく考えていたんですが、しいて言えば自身の父親とのことを想像してのことなのでしょうか。「家族」というつながりは強固のように思えて、ふとしたことでその絆が危うくなり(その果ては映画『凶悪』での被害者のように)、しかしその実感というものは、できうれば感じない方が幸せなのかもしれない…そういった意識が感動させたのでしょうか。ちなみに「法」や「理性」といった、ある種の道具立ての様なものでは割り切れない部分を家族という受け皿は対応せざるを得ないわけですが、その道具立てで何とか問題を消し去ろうとそういった浅はかな経験で失敗し、多少とも私が教訓を学んだせいでしょうか…。

 

 

 もうこの作品は、いろんな方が感動するだろうし、是枝監督も数年前『誰も知らない』で、かなり著名になった方ですし、もちろん名作なわけですが、私などが感想を書いたとして何か気の利いたことをかけるとも思えません。しかしながら時折監督さんを追っ掛けて数作見ることがあるんですが、是枝監督もそのおひとり。なので改めて筆を執った次第。

 

 是枝監督は、作品ごとにテーマがあるといえ、ずーーと、家族のことを取り上げているような気がします。しかも多分90年代以降の家族を。だから設定で、物語の中心になる人物が40代、そしてその親の世代が60代後半から70代という設定が多いように感じます。もちろんマーケティング的なことを考えて、時間とお金が比較的余裕もあり映画割引も使え人口層も多い団塊世代前後の60代以降と、その後の世代でこれまた人口の多い40代前後を、ターゲットにしている可能性もありますが、おそらく、監督の意図はそこにないような気がします(多少ずるさは感じるけど)。

 

 高度成長を支え大きく日本が変化した団塊世代前後の方の生き方と、団塊ジュニアと呼ばれる私も含む40代前後の世代、この二世代が現代の家族像を考える際にいろいろと象徴的なのだろうなぁと。

 

 

 象徴的といえば、これまた物語の舞台がおそらく首都圏と関東圏の地方都市で物語が完結しているような気がします。それと鉄道。移動のシーンで無言のまま環境音が入り込む演出には、なにか虚をつくといいましょうか、何かの優しさを刺激させる、そういった配慮がどの作品にもあるような気がします。

 

(ここから多少ネタバレ)

 主人公の福山雅治演じる主人公は、40代のエリート大企業社員で、建築の関係の世界で華々しく活躍。首都圏の高層マンションでいかにも高級そうなところ住まい。おそらく大学もエリート校なのでしょう、同級生に有能そうな田中哲司さん演じる弁護士もいる。何不住なく過ごしている感じや、高層マンション暮らしなど、日本の生活の富裕層に近い生活、そして言葉の端端にそれを努力で培ってきたことも垣間見えます。

 

 

 一方で対比的にリリー・フランキーさんと真木よう子さん演じる前橋市内で電気屋さんを経営する、おそらく二代目の夫婦。車も生活スタイルも、もちろん家も住んでる街もまったく異なる世界に住んでいる二人。そして、その違いを描きながら淡々と流れる、バッハを中心とするピアノ楽曲。現実感覚と、アートとして入りやすさを考えた演出と、これは見た者は、(特に海外(欧風)の映画の文脈に親しんでいる方々は)物語には引き込まれていくでしょうね…。余韻とリアリズム。そして海外、特にヨーロッパの方に日本をイメージ付けるには関東圏ということでしょうか。

 

 

 正直世代構成のプロットとか、演出の妙とか、演出のために子役の子どもの本名を役名に使うとか(これは『誰も知らない』でも)、本当にずるいなぁ、と思いながら、やはり引き込まれる、引きこむ力のある監督なんだと思うんですよ。それは、多分いろんな能力によるんでしょうが、私としては、前回のブログの続きでいうと、「現代の家族と孤独」をいろんな点でもすべて描き出す、そういったコンテキストに執着しその意識を維持し続ける、そういったテーマ性を感じるからだと思うんですよね。

 

 

 確か是枝さんはテレビのドキュメンタリー出身のデレクターだったと思います。たまたまですが、90年代の初め、その番組を見ていました。確か交通事故か何かで事故後の記憶をとどめることのできなくなった人の生き様を追いかけたものでした。医療制度からも、家族からも、とにかく記憶という共有できるツールを失ってしまった本人とまわりの家族の孤独感。是枝さんは現代の孤独の文脈を家族という舞台から、そのころから見つめ続けているのかもしれないですね。

 

 

 そういう意味では、前回の『凶悪』も、現代の家族と孤独をテーマとして扱っていたように思えるし、舞台もおそらく関東エリア。何かの時代なのでしょうか…そしてそして、両方見た方はわかると思いますが、リリー・フランキーさんの演技の妙。あのギャップはん何なんでしょうか。しかもしかもそれに加え、ピエール瀧さんをチョイ役で出すあたり、狙っているのでしょうかw。

 

 

 あ、あと夏八木勲さんのこととかいろいろ書きたいんですが、そろそろ出勤です。皆様、まだの方はロングランもそろそろだと思うんでよかったら…。