たまに珈琲ネタなど…コーヒーの日カウントダウン4

さて、いよいよ、珈琲の日でした。

 

今回こちらで再掲する、「アロマ生活(6)」では、とある文才のある珈琲屋さんが中心のお話です。札幌時代にもうわさは聞いていたのですが、結局伺うことになったのは四国に来てから。

 

 

その珈琲屋さん曰く、「珈琲好きには、珈琲豆を送ってはいけない。どーしてもというならインスタントを」と…。ここで、「おおやはり!」と思える人は相当な珈琲好きなのかもしれません。

 

 

ではその珈琲屋さんの理由は?…。

 

-------以下日記----------------------------

アロマ生活(6)

掲載日:2012年2月22日 0:48

宮ノ森 LICHIT珈琲

 

正直言うと、とある某カフェに集まりその日の夕方から、21時くらいにかけて行われた珈琲夜会番外編、珈琲とそれに関わる職人さんの魅力に怖いぐらいにふれられた得がたいひと時でした…。

 

しかもそのお店、私が17年もいた札幌にあるお店でした…しかも1回15年前に訪れていたのです…諸事情によりほとんど記憶を残していませんでしたが…そして、この珈琲豆屋さん、国際的な紛争地での平和維持を研究し現場に身を投じ1998年に亡くなった秋野豊先生がよく通われていたということも知りました。

 

私は、なんと無知なのでしょう…今更に昨夜の珈琲(そしてそれを支える人々)との出会いにほくそ笑んで悦にいったのですが、今日は今日で、更にそのお店の存在を、しかも一度訪れていたにもかかわらず同じ地で忘却していた自分の無知が許せないのでした。

 

残っている数10グラムの豆は、ほとんど自分で入れなくなった私にとって、思い出深いものとなりました。「光」という名前がついたその珈琲店から、新たな希望と喜び、そして自分として何をなさなければならないかという示唆までも指示された気がします。

 

しかしそのお店の珈琲豆からは、瞬発的な香りと、優しいまるみのある飲み後の余韻から、屹立として優しさを感じさせる、お店の店主が思い出されるのでした…。

 

 

 

 

追記:さて、この珈琲豆の焙煎をされた御店主は、お店の通信を作成されております。どうも文学にもご関心がおありのようで、独特のユーモアとペーソスにあふれる文体です。

 

その御店主が、ある号に、「珈琲好きには焙煎豆を送るな。どうしてもといい場合はインスタントを。」と書かれておりました。一読し、「お!」となんとなく惹かれ読み続けたのですが、理由を読んで更に何かそこはかとない、珈琲豆にかかわる職人意識と申しますか、珈琲愛と申しますか、珈琲を愛することの独特の悲哀を感じたんです。

 

 

 

その理由とは、珈琲を愛する者は、大体にして好みの味や店というものが決まっており、ある意味よほど珈琲好きとの付き合いで、焙煎の深さ、日常的な珈琲の立て方、さらには豆などの好みなど、相手を知らない限りは、もらった方も、困惑すると。しかも始末に悪いことに、珈琲の美味しくいただける鮮度のことや保管状態などを考えると、より一層悩ませることになる。いっそ困惑させるぐらいなら、腐らず、かつ汎用性があり、勤め先等で接客用に使うかもしれないインスタントにしたらどうか、こういったことでした。

 

 

おそらく焙煎職人さん自身が、珈琲に対しての愛情を持っていないと、そしてそのお店のお客さんも相当な珈琲愛でないと、こういった文脈は共有されますまい。

 

いまだにその文章を読んだ時の余韻とこのお店の清々しいまでに透き通って感じられる上質のロブスタ種の味わいが思い出されます。

 

皆様の珈琲の日も「良い珈琲の日」でありますように。