たまに珈琲ネタなど…コーヒーの日カウントダウン3

いやー本日は大阪に出かけて、さる研究会というか交流会というか、どちらにせよいい意味で宿題をいただいた会に参加できたのですが、まあついでといいますか、そりゃやはり神戸を通過はできないですし、なんなら桜ノ宮でのバール・ウーノ、西宮でネルドリップのお店にも行こうかという勢いだったんですが、時間の都合上、行ってみたかった、SATURDAYS SURF NY 神戸店に。

 オフィス街の一階に吹き抜けの様な空間。そして、サーフボードやカジュアルなものがいろいろとおいてて、更にエスプレッソもうまい。結局豆のことまでは確認はしなかったですが、焙煎は中深よりも浅めかしら、とにかく最近の浅い煎りですっきりとした酸味をフルーティーに味わう感じのエスプレッソがいただけた感じです。そういやイタリアのトップロースターのイリーもミラノでしたか…神戸の街にマッチしてるけど、でもどこかオフィス街のオアシスのようなお店でした。

 

 最近の中深よりも浅い煎りで豆の味わいをいただくものももちろん美味しいいんですが、珈琲のもう一つの魅力、苦味について、かつて書いた「アロマ生活(4)」を再掲載(といってもこちらのブログでは初掲載なんですが…)この回は、色々とお相手下さる、さる哲学者の方が書かれていた「珈琲紳士ノスタルジー」にかなり刺激を受け、珈琲の苦味の魅力と、私の研究に対する原風景と、両方イメージした書き方に。こっぱずかしいですが、ご笑覧あれ。書評会に行って知的刺激を受けた影響でしょうか。

 

 あ、今日のその交流会というか勉強会というか書評会は、大変楽しいうございましたので、明日にでもブログにて。そしてその著書の書評も…。というあたりで今日はカフェインが多少優しい深煎りのんで、おやすみなさい…。

 

 

-------以下日記----------------------------

アロマ生活(4)

掲載日:2011年11月17日 0:52

 「珈琲紳士ノスタルジー」という素適で考え深いエッセイに刺激を受けて、4回目です。毎回予告した話になりませんが、今回もそうなりまして……しかもいささか、「ほろ苦い」お話になる予定です。珈琲もしくはコーヒーもしくは、コーフィもしくはcafeについてのエッセイですから、多少の「ほろ苦さ」はご容赦ください。そして、気持ちが熱ければ熱いほど、コーヒー同様に雑味が出てしまう点もご容赦下さい。

 

 11月16日現在で、札幌の初雪が、報じられ、半月ほど遅いとニュースで話題となっていました。札幌では、だいたい文化の日を境に雪が降ったり降らなかったりと記憶します。ちょうどそのちょっと前に雪虫というおそらくウンカか何かの仲間の虫が結構な量飛び交います。この虫、白い綿毛のようなものに囲まれている直径3,4ミリ位の大きさの虫なのですが、道端の縁石のふちに雪のように5ミリほど降り積もるぐらい、シーズンになると突如として現れるのです。幻想的で少し気味の悪い風景ですが、これが冬到来という実感になっていくわけです。

 

 ちょうど、今から9年ほど前のそんな季節の時に、大学院の先輩から、北海道は太平洋岸、森進一の哀愁深い唄、襟裳岬で有名な襟裳町(当時)のすぐ近く、浦河町というところの「べてるの家」という精神障碍者を中心とする自助コミュニティーのお話を聞きました。さっそくその先輩を訪ね、札幌から高速バスで片道3時間半(鉄道で行くともっとかかります)、初めてべてるの家の人を紹介されたのは、バスステーション近くの喫茶店、お話し屋さんというところでした。cafeというよりは、レストランと喫茶店が入り混じったようなお店で、ちょっとセンスのいい市民交流の場というようなところでした。この交流の場は、べてるの家の人も何か町でいろいろと情報交流したい人も活用していたみたいで、ランチなども味の割に割安の、居心地のいいところでした。

そこで、ミスターべてるの早坂さんとお会いして、ちょうどその翌日地元の精神科医でべてるにかかわっておられる川村医師のお宅のバーベキュー大会に参加することになりました。

 

 バーベキュー大会では、早坂さんや、佐々木さん、松本さん、下野さん、伊藤さん、などなどといったべてるメンバーの方とお会いして、交流することができました。現在は北海道医療大学で教授をされている向谷地さんともこちらで初対面できました。川村さんや向谷地さんから色々と歴史的なお話を伺ったんですけれども、べてるメンバーの下野さん、松本さんは、世代も同じという事で、特にお話しのやり取りが印象に残っています。松本さんが、べてるを飛び出して札幌まで徒歩で逃げだし、発作が起こり札幌の病院で緊急入院し、担当医から、「いいところあるから紹介するよ」とべてるを紹介されて浦河に戻った話であるとか、下野さんが、最初べてるの仲間と打ち解けず、表面だけニコニコとしていながらも孤独を味わっていた時に発作的な衝動で荒れ狂う太平洋に身を投げその後助け出され、その後に「自分のみじめさや病気を許せない」自分の姿を助け出した仲間とのやり取りから次第に気づいていった話であるとか、抱腹絶倒、何かユーモアがあるけれど、ほろ苦い、そんなお話を次々としてくれるのです。ある意味で彼ら、彼女らの「メーターが振り切った」経験をしたことのある人たち独特の説得力と存在感は、異彩を放ちながらも、誰にでも伝わる心を震わせる何かを、聞くものに感じさせるのでした。そういったやり取りが、ほとんど喫茶店で取り交わされるのでした。コーヒーとたばこをふかす彼ら彼女らの屈託のない笑顔から、非常に厳しい条件での生き様がポツリポツリと語られるのですが、嫌味というものが全くありません。

 

 実はこうした喫茶店でのやり取りは、べてる以前にも経験していました。私がまだ20歳になったばかりのころ、統合失調症の症状が続くKくんという人物とやり取りをしたことがあります。かれも、コーヒーとたばこをこよなく愛し、もっぱら彼との交流は喫茶店かもしくはKくん宅でのコーヒータイムがほとんどでした。初めてKくん宅でコーヒーをご馳走になった時、包丁をもって寡黙なKくんのお母さんが部屋に入ってきたときはびくりとしましたが、後にベランダにある家庭菜園のトマトをふるまってくれるためとわかると、ちょっとほっとした、そんなこともありました。そんなKくんのお母さんもなくなり、Kくんが引きこもりがちになったというその時期に、私が就職で地域が全く遠くになって、結局縁が切れてしまいました。

縁が切れたと言えば、それはきれいごとにすぎるかもしれません。結局実際には、当時の私の力量ではKくんの状態に接することができなかったという事なのでしょう…このような体験が、べてるの家をせめて研究という形でだけでもかかわっていたいという、きっかけです。「きっかけ」という小気味よいものではないかもしれません。たんに小心者の自己正当化に過ぎないそんなあやうい魂なのかもしれません。でもそこが出発点なのです。

 

 そんな出発点には、いつも喫茶店がありました。笑いがあったり、何か仲間と出会えたり、別れ話があったり、回想があったり…反芻があったり…「ほろ苦さ」があったり。しかもこの時期の北海道の幻想的でかつ肌寒さから、ほっとするような温かさの防壁としても存在してくれている場所。

 

 私はKくんともし再会できるのなら、もしKくんが望み、可能であれば、一度浦河のお話し屋さんでなにかお話をしたいと思っています。そして時間をかけてKくんが望めば早坂さんや下野さんや伊藤さん、松本さんというそういう人々を紹介して、コーヒーをすすりながら、時に笑いを交えて冬に近づくこの時期の午後のコーヒータイムからあっという間に暗くなる夕方までの数時間を「あっという間だった」と過ごしていきたい…。

しかし、残念なことに、いまは、お話し屋さんはありません。また一番紹介したかった下野さんも不慮の事故で亡くなってしまいました。Kくんも北海道をあとにし私の知らない親戚の方を頼りに東北かどこかに引っ越しをされたそうです。

 

 まだ望みは捨ててはいませんが、コーヒーに2杯以上も砂糖をいれてクルクルと銀のスプーンでかき混ぜながら、灰皿の煙草をくゆらせる、そんなKくんの姿はしばらく見ることはできないかもしれません。明日は、その姿を思い出しつつ、どこかで、コーヒーをすすりたいと思います。