ネトウヨについて勉強してました…「国家主義」という課題…(本のご紹介)

三連休スタートだったようですが、皆様いかがお過ごしですか?。

 

本日は、勤務、明日は京都出張で、私は幸いながら月曜日はお休みがいただけそうです。

 

 

既にご報告をしましたが、9月15,16日は東京出張でまあちょっと体験できない体験ということで、台風によっていかに首都圏の公共交通網が危機に直面したか、まさに体験を持って学ぶ機会があり、朝の8時30から15時まで駅構内でカンズメという得難い体験をしたのですが(またこれは序章にすぎずその後の超過密満員新幹線での5時間の旅という更に凄まじい勉強はまたそのうちご報告します…)、この際、日常読まなければいけない本を鞄に詰めて出張するんですが、ほとんどは未処理のまままた元に戻すところが、このたびのカンズメのおかげでスムーズに数冊処理できましたうちの一冊をご紹介。

 

 

突然ですが、ネット選挙以降、ネトウヨ、つまりネット右翼についていろいろと調べておりまして数冊読んでおりますが、三冊ご紹介し、特に一冊の面白かったものを取り上げてみたいと思います。

 

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」 (宝島社新書)

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」 (宝島社新書)

 

 

 

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

 

 

 

ネット右翼の逆襲--「嫌韓」思想と新保守論

ネット右翼の逆襲--「嫌韓」思想と新保守論

 

 

 

 

この中でも、特に古谷さんの『ネット右翼の逆襲』について触れておきましょう。ご紹介した本はいずれもユニークで特に、安田さんの『ネットと愛国』は在特会という近年その活動が知られることとなりつつある団体を中心にカリスマ的リーダーの生い立ちなどにアプローチしてその活動を追いかけたフィクションの秀作ですが、その『ネットと愛国』と共に読んでみたら面白いのではないかというのが、『ネット右翼の逆襲』なんですね。

 

 

まずこの本は、ネット右翼のステレオタイプ像とされる、もてない、金ない(定収入)、学歴無い、などという像が本当なのかというあたりから分析を始めます。実際にご自身のSNS上の関わりからサンプリングされた実態調査はもちろん、いわゆるネット住人のステレオタイプの分析から、それを統合しえた麻生元首相の評価、ステレオタイプの原型を提供した電車男な分析などなど、非常に興味深く拝見しました。

 

またネット選挙とのかかわりで言うと、自民党のネット支持者にインタビューなどをされて、実は、秋葉原の住民とされているコアなオタク層が政策的には自民党の支持者層とずれているにもかかわらず、メディアを介して秋葉原という地域性を活かした戦略で結果的にか、支持者を集めれたことや、その支持者が自身のことを「保守」と考えている人が多いものの「ネット右翼」と自身を規定する人々が少数派であることなどを浮き彫りにします。

 

 

そこにとどまらず、筆者は「保守」と「ネット右翼」の共通項である「嫌韓」の思想から、さらにさらに浮き彫りにされるのは、実は日本の思想界における「保守」思想や、民族派と呼ばれる思想が、「嫌韓」的な発想を持ちながらも、軍事同盟的な立場から韓国政府の指導者の政策を常に支持してきたその国際政治的な状況がある種の思想的な「ねじれ」を保守思想内に孕むことになった点などにも言及していて、そのあたりも非常に興味深かった次第。

 

 

いやー私としては、自分自身は、「保守」とか「右派」とかいう立場には自分自身の思想を置きたくないと思っているものですが、ついに、鈴木邦夫さんとはまた違う視覚で、「分析的な保守思想」の方が論壇に出てきたなと思った次第(そういや、分析的マルクス主義って一昔前でてきたけど、今どうなんでしょうなぁ…)。

 

 

結局、著者の古谷氏は、「嫌韓」的な発想がぬぐえないことの原因の一つに、近年の韓国のある種の国家主義的(この場合はナショナリズム的な)な政策と韓国国内の儒教文化の衰退などによる社会紐帯の不安定性を上げているのですが、それで思ったのが、北大の公共政策大学院で研究院をしていた時に、EUの専門家の先生がおっしゃった一言。

 

「ヨーロッパは、国の政策が左派的なものも保守的なものもあるが、国家利益というか国際政治の場面での内と外を使い分けるという点では一日の長があって、そのあたりが常に意識されて戦後の同盟関係なども進めてきている経緯があるのだけれども、アジアにおける日本とその周りの国々では、国家機構に対してのそういったあたりの共通認識自体が形成が形成過程にあるので一国内の矛盾を解決するために過去の問題が統治の政策的な場面で利用されるような点がある」

 

 

といったようなことをおっしゃってました。つまり、ナショナリズムと訳される意味での国家に対しての国民の何かの国威発揚運動を国家自体が自身の矛盾を隠すために使用するなんてことがあったり、統治者同士で問題が解決していても、統治者がその国の国民にきちんと問題解決を進められなかったり…一方で、エタティズムというこちらも国家主義と訳される国際経済的な立場を意味する用語があるそうで、こちらの方は、経済的なかかわりの中で自国の国益を念頭に置いた国際経済戦略をとるときの立場の用語の様なんですが、こういったことが各国の間で成立する、そういった信頼関係と申しますか国家間契約関係の様なことが、できているエリアとできていないエリアが点在していると、こうもおっしゃってました。

 

 

私なりに理解すると、同じ国家主義という言葉ではありますが、ナショナリズムという課題が今を持って何かのメインの課題になるところと、エタティズムということを相互に認めているエリア、こういったあたりのことをちと思い出した次第です。

 

 

まあそれはともかく、私が北大を出て四国に来てから、北大に来られた中島岳志先生のリベラル保守といい、この古谷さんといい、思想的な立場はともかく、分析的に説得力を持たすという保守論客の方の活躍を見ていると、一方でその反対の立場の方は、研究という場面ではいらっしゃるかもしれませんが、一般書的なところと専門書を結びつけるという形でどういった方が出てくるのかと、あるいは出てこないのかもと、ちと思った次第でして…さ、寝ますね…おやすみなさい。